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西暦27年 豊岡の鞄のルーツ

それは神話の時代に遡るのですが、新羅王子とされる天日槍命(アメノヒボコ)によって、柳(やなぎ)細工の技術が伝えられたとの伝承が、712年の「古事記」にあります。
豊岡鞄のルーツは、その柳細工で作られたカゴだと言われています。
また、菅原道真(843~903)の「筑紫の配所への行列の絵巻」の中で、牛の背に行李が見られます。

奈良の正倉院に上納

奈良時代に豊岡でつくられた「柳筥(やなぎかご)」は正倉院に上納されています。
1473年の、「応仁記」には、豊岡市の九日市(ココノカイチ)に「九日市場」が開かれ、柳こおりが商品として盛んに売買されていた記述があります。
おそらくこの時期から、地場産業として家内手工業的な杞柳産業が発展したことが予想されます。

江戸時代には

豊岡藩の独占取扱品として、柳こうりの生産が盛んになりました。
1668年、京極伊勢守高盛が丹後国から豊岡に移封され、柳の栽培並びに製造販売に力を注ぎ、土地の産業として奨励したのが始まりです。
豊岡から大阪を経由して全国にその販路が出来上がり、幕末には、大骨柳屋・飯骨柳屋・仲買・縁掛屋などの流通・販売機構も整い、全国的名声を築きました。

柳行李から豊岡の鞄へ

豊岡の鞄としては、1881年八木長衛門が第2回内国勧業博覧会に2尺3寸(約70cm)入子、3本革バンド締めの「行李鞄」を創作出品したことが始まりと伝えられています。
この3本革バンド締めの柳行李は、外観はトランクと同じであったが、トランクと呼ばれずに柳行李と呼ばれていました。
このことは、これが従来の杞柳製品の改良品で、柳行李で名高い豊岡で作られたことが、鞄と呼ばれず行李と呼ばれた原因と言われています。

素材がファイバーへ(紙を圧着したもの)

1936年に開催されたベルリンオリンピックの選手団のかばんとして、豊岡のファイバー鞄が採用されるなど、この頃には、「ファイバー鞄」が、豊岡かばんの主流を占めるようになりました。
しかし、昭和12年に日中戦争、昭和16年に太平洋戦争と戦火が拡大するにつれて材料の確保が困難になり、材料の購入・販売など統制しなくてはならなくなりました。

鞄産業が地場産業へ

昭和28年、従来のスーツケースの胴枠を改造し、外型崩れ防止にピアノ線を使用した鞄が生まれました。
軽くて強靭であることなど、これまでの欠陥を補っていたので他商品を圧倒しました。
「岩戸景気」(1958~1961年)を背景に、豊岡市に300を越える鞄関連企業が生まれ、全国生産の80%のシェアを占めるまでに発展しました。
こうして、カバン産業が豊岡市の地場産業となったのです。

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